２０１３．０４．２８．

　　　　　　　　　　　　　　　　　中山道余禄　１８　　　　木曽の御料林

　　　　　　今月、奈良井宿で、「木曽の五木」を教える掲示を見て、僕はふと、國民學校の
　　　　　　５年生で、「木曽の御料林」　という単元を学習したことを思い出した。

　　　　　　早速、本棚からそれを引っ張り出して、此処に復刻してみた。
　　　　　　昭和２０年、終戦直前の時代の空気が溢れていて、懐かしかった。

　　　　　　　　　　　　　　　　木曽の御料林

　　　神宮備林

　皇大神宮は、二十年ごとにあらたに御殿舎を御造營になり、そのたびに正遷宮の御儀が行はれる。
　この御儀は、天武天皇の御時に定められ、第一回の大典は、持統天皇の御代に行はれた。昭和
二十四年は、第五十九回の正遷宮に當るが、實に一千二百有餘年の歴史を重ねてゐる。
　あらたに御殿舎を御造營になる用材は、もと伊勢の神路山・高倉山などから伐り出されてゐたが、
織田信長が、木曽の森林から伐採して奉つたことがあり、その後百年餘りたつて、それが例になる
やうになつた。明治の大御代から昭和の今日まで、御遷宮に際しては、かならず木曽から御用材を
奉ることになつてゐる。
　神宮の御殿舎は、すべて檜の白木造りであるから、御造營に要する檜の數は、一萬二千本に近く、
しかもすべてえりすぐつた良質のものである。かうした檜は一朝一夕に得られるものでなく、したがつて、
つねに大木を保護するとともに、植林によつて、あとからあとから育てて行くやうにしなければならない。
　明治三十七年、明治天皇は、特に、このことに大御心をかけさせられ、そのおぼしめしによつて、木曽
の御料林中に、神宮備林が定められることになつた。以來、神宮御造營の用材は、永久につきる心配
がなくなつたのである。
　この神宮備林は、木曽川の上流が、白い御影石の川床をかんで流れる木曽谷の左右の山々にある。
　今、中央線の上松驛で汽車をおり、森林鐵道に乘りかへて、木曽川の支流にそひながらさかのぼつて
行くとする。しばらくは、切りそいだやうな、がけの下の青い淵や、勢こんで流れる水の清さに、目をうば
はれるのであるが、やがて、左右を取り巻く山の木々に、われわれは目を移すやうになる。窓の外の
けしきは變つても、山から山へ續く生ひ茂つたみどりの森林はつきることがない。何といふ森林のつな
がりであらうとおどろくころは、まだ御料林のほんの入口へはいつたばかりなのである。
　このやうにして、山を分けながら、谷間をのぼつて行くと、やがて標高千百五十メートルの中立神宮
備林に着く。ここは、昭和十六年六月三日、神宮御造營用材中いちばんだいじな、内宮・外宮の御神木
を伐り出したみそまはじめ祭の行はれたところである。

　　　　みそまはじめ祭

　青々と大空をおほふ檜の大木が、美しい柱のやうに立つてゐる中立神宮備林の朝である。やまがら・
こまどり・うぐひすなどの鳴き聲が、谷川の音にまじつて聞えて來る中を、今日のみそまはじめ祭の盛儀
を拝觀する人々の列が、林の間の細道傳ひに次から次へ續いて行く。
　しめなは・まん幕を張りめぐらした祭場は、檜のあら木造りで、内宮・外宮の御神木の前に南面して作
られてゐる。　
　木の間からもれる初夏の光に、まばゆくかがやく祭場の東からみなみへかけた林の傾斜面は、拝觀
者や、青年學校・國民學校の生徒などでうづめつくされてゐる。深山の靈氣に打たれて、だれ一人静け
さを破る者はない。きちんと姿勢を正して、祭典の始るのを待つてゐる。
　午前十時、最初の太鼓が、あたりの静けさを破って鳴らされる。それを合圖に、身も心も清めに清め
て、ひたすら今日を待つてゐた奉仕員たちは、目にしみるばかりの真白な齋服を着て、定めの場所へ
集つて來た。
　やがて第二の太鼓が山全體に響き渡つて、儀式に使はれるいろいろな祭具が運ばれる。最後の太
鼓が打ち鳴らされると、奉仕の人々は、はらひ所に並んでおはらひを受け、祭具やお供へものをささげ
て、静かに祭場へ進んで行く。
　祭場には、中央と四すみに、五色の幣がかうがうしく立てられてゐる。大麻を振って祭場が清められ、
おごそかに祝詞が讀まれる。
　いよいよ、御神木伐り始めの御儀に移つた。
　奉仕員は、をのを取つて御神木の前方南寄りに進み、大麻でおはらひをする時のやうに、左右左と
三たび、御神木の根もとへ向かつてをのを打ち込む。をの入れを終わつて、奉仕の人々は、一拝して
静かに祭場を退出した。
　内宮・外宮の御神體を御奉安する御神木伐り始めの御儀は、かくて終わつたのである。
　しめなはでかざられた、樹齡二百數十年に及ぶ二もとの御神木を仰げば、天を指してすくすくと生ひ
立つ幹は長く、はるかに冠のやうな梢をいただいてゐるのが見られる。十萬五千町歩にわたる木曽の
御料林中、最良の木である。
　午後になつて、この御神木は、さらに白衣を着た十四名のえり抜きのそま夫たちによつて、伐られて
行つた。
　伐り方は古式にしたがつて、御神木の根もとへとぎすましたをのを、はつしと打ち込むのである。しはぶ
きの聲一つしない、神代さながらの山中は、しばらくの間、打ち入れるをのの響きのこだまで満たされる。
一打ごとに、三つの切口から清らかな木のはだが現れる。
　伐り倒された御神木は、用材の長さに切られ、六十名の運材夫によつて木馬道を静かに運ばれて行
く。運材夫が聲高く歌ふ木やり歌は、中立神宮備林の森嚴な空気を明るくふるはせて、いつまでも響き
渡つた。
　　　

　　　※　　出典　　　　初等科國語　　五　　　　（國民學校　５年生用前期　　文部省）

戦争は八月に終わったから、これは、我々が皇民として受けた最後の授業だったかも知れない。
森林を大切にしなければいけないということが、このように皇室の神格化と絡めて教えられていたこと
が、今にして思えば興味深い。

木曽五木の伐採禁止は、関ヶ原の戦い後各地で盛んになった城郭・城下町・武家屋敷・造船の建設に
よる森林の荒廃を防ぐ目的で始まった。この尾張藩の政策は、その後全国の藩に広まって行った。

尾張藩では、後に、「木曽の五木」に加えて、ケヤキ・クリ・マツ・カラマツ・トチ・カツラ、などの樹木も
保護指定にし、伐採禁止区域も拡大していったようである。